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2004.06.18

アップル1986:もう1つの道

今日のOfficeラウンチイベント、やはり目玉はマイクロソフト(株)執行役 最高技術責任者古川氏のスピーチだ。
四半世紀以上にわたって、日本、いや世界のパソコン史の築く側に立ち続けてきた古川氏だが、それだけに公表するエピソードの1つ1つがすべておもしろい。

その中でもとびきりおもしろかったのが、次のエピソード
「あまりバイアスをかけて書かないでくださいね」と、断った上での話だったので、書くのをためらったが、どうせしばらくすれば、そこかしこで報道されるはずだし、あえて「バイアスをかけずにとりあげて欲しい」という部分も含めて紹介したい。

それは1986年のこと、古川氏はビル・ゲイツとの大げんかをし、しばらくソニーのNEWSなどのUNIXワークステーションをいじっていたそうだ。
 そんな時、当時のアップル社から日本のアップルの社長にならないか、という提案があったらしい(まあ、古川氏ほどの人なら当然だろう)。
 当時のアップルCEO、ジョン・スカリーに「私はアップルからクリーム色のMacを発売し、ソニーから銀色のMacを発売するのが夢だ」と語ったという。
 スカリー側の要望はセールスだけに集中してくれればいい、というものだったこともあり、この話は流れた。

 後日、古川さんがソニー現CEOの出井伸之氏に話をしたとき、ちょうど同じ頃、出井氏もアップルにOSをライセンスして欲しいと交渉をしていたのだという。

 これはアップル対MS、WIndows対Mac OSといった宗教論の話ではない(「古川さん、実はアンチWindowsでMac好き」とか、そういう話題ではない)。
 これは、この2人の先見性とパワーを備えた経営者が、熟考した結果、たどりついたあってしかるべきビジネスプロポーザルであり、なければおかしい議論だとも言えるかもしれない。
 この業界を長く見てきた人なら「やっぱり、そういう動きはあったのか」と思う人も多いだろう。
 現状がそうでないから、残念と言う類いのものではなく、「たら、れば」話はやはり所詮、「たら、れば」でしかないのだが、その現場にいた当人の口からあらためて話を聞くと、さすがに迫力が違う。

  パソコン業界の水面下には、こうした驚くような話がいくつも眠っている。14年間、日本で海外で取材活動をつづけてきたおかげで、書けるもの、書けないものを含めてそうした裏話をいくつも聞いてきた。
 話をしてくれた方の許可ももらいながら、遠くないうちに本にまとめたいと思っている。


P.S.私も少しはPublic speechに慣れてきたと思ったのだけれど、予定外なことが3つを超えると、いまでもパニックになってしまう。予定より15分早い出番、前の出番のスピーチが飛ばされた、という時点で、かなり白くなっていたが、PowerBookを開くと解像度が変わっていて、チャットウィンドウが開きっぱなしで、しかも、ネットワーク共有したプロジェクトを読み込もうとして(レインボーカーソルが回り始めた頃には言葉を失っていた)。
 実は今回、古川さんの話をみていて、もう1つ感銘を受けたのが、緊張と闘ってそれを克服していく姿。
 古川さんも、自分のスピーチの直前になると、ノートを取り出して、あわてて話す内容を書き始め、(やはり予想よりも早く)出番が回ってきた時には、かなり緊張しているご様子だった。
 声を聞いてもかなり緊張している様子がわかったのだけれど、Office 2004の晴れの門出をもりあげなければという責任感と集まってきてくれた人を楽しませなければというサービス精神のようなものから、どんどん自分を追い立てるように話し始め、数分後には、あがっている様子を完全に克服してしまった。
 私の場合、今日はお腹の調子の問題で昼を抜いたというのも、痛かったのだけれど、ああ、やって克服する手もあるのかと、大きなヒントをいただいた気がした。

6月 18, 2004 Mac |

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