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2008.08.13

卵と鶏と発想の飛躍と

countervoid050518

ブログはやはり思い立ったときに更新しないとダメだ。
書こうと思って、溜込んで後になって書こうとすると、
本当に書きたかったことを忘れて後で後悔する。

1つ前の記事「何を出発点にして、それをどう評価していくのか」は、
「IT系ニュース媒体の写真にかけられたモザイク」と「器械体操の評価方法」を出発点に、それまでなかった新しい技術を、何を土台にして、どのベクトルで評価すべきかについて書いた。
でも、実はこの議論だけでは足りず、もう1つの視点を書き加えようと思っていたことを、後になって思い出した。

前の記事に対してmixi経由で、それでもやはり「もし何かあった場合に、被害に遭って嫌な気持ちになったりする人の側に立って考えると、モザイクは仕方がない」というコメントを頂いた。
まったく持ってその通りで、この議論は、卵が先か鶏が先かの堂々巡りな部分がある。
実は先週末、寝付けない夜に、この卵と鶏の議論を頭の中で繰り返していた。

その後、私が以前、ちょっとやりたいと考えているあるプロジェクトのことを思い出し、
それがきっかけで、性善説を核にした方がいい、という結論にたどり着いたのだ。

持論を押し付けるつもりはないが、ものの考え方の一つとして、みなさんの意見を伺えればうれしい。

卵と鶏の議論は、メビウスの輪のような物で、この輪にばかり目を向けていたのでは、
いつまで立っても解決の糸口は見つからない。
そこで、もしすべてがうまくいって健全な社会が成り立ったらと仮定してみたのだ。

そういう社会が成り立ったとしたら、おそらくそこでは、
人々は他の人が困っていれば手を貸すが、必要以上には干渉しない。
そしてプライバシーへの過剰反応はなくなるだろう。

革新的技術の悪いところは、開発者に正々堂々と正面から指摘するが、
それはそれを、もっとよくしてもらおうという建設的な提案であって、
相手をおとしめるのが目的ではないし、ちゃんといいところも評価するだろう。

果たしてそういった理想は成り立つものか?
完全に成り立つかというと自信はないが、
少なくとも今から十数年くらい前までは、もう少し世の中のバランスが健全よりだった気がする。
ということは、もう少し舵をそっちよりに振ってもいいのではないか。
そうやって考えたら、やはりアクションの源流の方から、
少しずつ健全路線に戻していってもいいんじゃないかと思えてきたのだ。
(記事を早く書き上げるために私基準の「健全」というやや抽象的な表現をしていることをお詫びしたい)。

さて、ここで私をこの思いに至らせた、
ちょっとやりたいと思っているプロジェクトについても、少しだけ触れておこう。

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肯定論を勧めている私が書くべきことではないかもしれないが、
私は、日本の政治にはいろいろと問題を感じている。
そして、今のままの政府では、これらの問題は一生かかっても解決しないだろうとやや絶望している。

 今の政治は、技術革新にも社会の変化にもおよそ追いついていない。
 もちろん、そうしたことを問題として提起する政治家はいるが、今の政治システムを使っている限り、ミリ単位の進化しか望めず、現実の社会とはどんどん乖離して行くばかりだ。

 これは一体、何が原因なのかというと、政治システムそのものの進化が、常に現在の政治システムを前提にしたミリ単位の改善の話しばかりだからだろう(しかも、ミリ単位の進化ですら、あっちにいったり、こっちにいったりを繰り返しているので、実際の進化はミクロン単位かもしれない)。

 かたや技術革新や社会の進歩の仕方は、メートル(あるいはもしかしたらキロメートル)単位かもしれない(だんだん、表現が抽象的でおおざっぱなのは後日、コメントでフォローしたい)。

 これでは世の中が、本当にどっちに向かっていけばいいのか、永久に正しい方向が見えてこない。

 そこでちょっと思ったのが、Wikiあるいはそれに即したシステムを使って、今日の技術や社会に即した法体系を政府と無関係につくってしまう、というアイディアだ。
 例えば、これまでの前提をすべて取っ払って考えると、電波の割り当ては、本来どうあるべきなのか。著作権はどうなのか。今日の世の中や技術を考えると、義務教育はどういう枠組みにして、どういうカリキュラムを組めばいいのか。
 法律だけでなく、世の中の森羅万象のルールや、政治的な決めごとを、すべてWeb 2.0的にWiki的なシステムを使って書き、それぞれの分野について、何かしらの考えを持つ人達がどんどん書き進めていく。
 場合によっては、ある政策について、意見の対立がおこることもあるだろう。

 現実の政府は、そんな時、いつまでも綱の引っ張り合いをして、先に進まないが、このインターネットの仮想政府の解決策は簡単だ。

 ページの複製をつくればいい。

 ページの複製をつくって、「○○政策のバージョンA」と「○○政策のバージョンB」のように分けて、それぞれで独立して議論を進めればいいのだ。
 双方、ある程度、議論を積み上げてきたところで、見比べてみることで考えが変わる人もでてくるかもしれない。

 私は何も、このWiki政府をつくってクーデターを起こそうというわけではない。

 ただ、今の政治では、数ミリ先のことしか考えない議論を繰り返していることがあまりに多い。
 そうではなく、もっと議論のスピードを(試行錯誤の頻度を)高めて、
 もっと先の未来を見据えた議論を行って、社会の進むべき方向を検討して行こう、という提案だ。

 活発な議論で政治シミュレーションを行うことで、見えてきた結論が果たして理にかないそうなら、現実の政府もそれを参考に、堂々巡りを飛び越えて、ものごとを早く進められるのではないか、というアイディアであり、卵と鶏的な議論を、飛び越えて外から見つめようという発想の飛躍の提案だ。

 本当は自分で始めたいと思っていたが、腰の重い私ではなかなか始められそうにないので、
 今では、誰かが始めてくれない物かと思っている。
 誰か、遊びでもいいので、これを始めてくれる人がいたら、どこかにちょっとでも私のクレジットをいれておいてもらえたらうれしい。

8月 13, 2008 just a thought |

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コメント

初めまして。以前より、拝見させていただいていたのですが、コメントは初めてします。今後も宜しくお願いいたします。

全く持ってnobiさんの仰る通りだと思います。性善説の立場で物を見、判断する。この考え方がもっと広まっていけばもう少し豊かな未来を子供たちに与えてあげられるのだろうと思います。僕はnobiさんが前に書かれていたGood Vive?でしたっけ?と言う言葉が好きです。Star Warsではないですが、ForceのDarkな面に落ちないようにする事は中々難しいです。でも一人一人がちょっとだけでも心がけていれば、世の中少しづつでも良い方向に向いていくのではないでしょうか?

それにしてもこの国の政治家の連中は、この国を本気で何とかする気があるのでしょうか?アメリカが全て良いとは思いませんが、やはり1国の代表は国民投票で決めるべきなんでしょうね。個人的には、彼らに対してだけは性悪説に立たざるを得ない事に悲しさを感じます。

お忙しいそうですが、お体に気をつけて下さいね。ではでは。

投稿: Harry J | 2008.08.13 11:03

コメントありがとうございます。
すみません。今日、1日でかけていたので、返事が遅くなってしまいました。
大統領制の善し悪しは別として、やはり日本の政治の諸悪の根源は、
誰かが責任を果たして何かを遂行するしくみよりも、
何か問題が起きたときに、本当の責任者が責任を回避して、とかげのしっぽ切り的に言い逃れをするためのしくみの方が発達していることのような気がします。

つまり、政治システムにも匿名文化の「負」の部分が出てしまっている、ということかもしれませんね。

投稿: nobi | 2008.08.13 23:47

この考え方は、日本の政治問題だけにあてはまることではないと思います。
行き詰まっている、しがらみがあって抜け出せないでいる状況を、
打破するための発想なのではないかと思いました。

何かを改良し、それを提案したりしていく時に必ず出る「批判」は、
「本当は○○がしたい」「○○ができればうまくいくはず」
といった「○○」を根拠も含めてチーム内で共有することで、
飛躍のためのバネにできるはずだと思います。

根拠が曖昧だったり、情報の伝達不足で共有できない場合は、
その「批判」はチーム内では揚げ足取りとみなされ、
負のスパイラルを招くでしょう。

この目標やその根拠となる情報を、あらゆる人と共有するという目的において、
インターネットは非常に有益な手段であるはずです。

投稿: kkclinn | 2008.08.14 01:05

試していないので、実例を持って「こうだ」と言えないけれど、
kkclinnさんもそう思ってくださるとのこと嬉しい限りです(笑)。

どんなビジネスにしても議論にしても、過去に築きあげたコンセンサスをベースにして、
その上に積み上げて行かないと、議論が先に進みません。

しかし、そうやってどんどん積み重ねて行くことで、土台の面積はどんどん狭くなっていくわけで
発想の幅も制限されてしまいます。
それに土台となっているコンセンサスも、本当にそれでバランスがとれているかというと、
時代コンテクストによって、常に変わっているわけであって、
本来は時間をおいて、見直しをする必要があると思います。

この「Wikiシミュレーション+議論がわかれたら分岐して比較」メソッドは、
そうした土台を見直す際に、今度はどこに土台を置いたらいいかの予想を立てるいい手段なんじゃないかと思っています。

この方法で課題となるのは、いかにして人々を議論に参加させるかで、
頑張って1人でも多くの人に参加してもらった方がいいとは思いますが、
その一方で、参加している人が、すべての議論に対して、何かの変更を加える必要はないと思います。

また政治の事例に戻りますが、私が今の政治で問題視しているポイントの1つはこれです。
政治家がすべての課題や法案について精通しているわけではありません。
それは当たり前のことで、その点は悪くないのですが、場合によっては、
ぜんぜんエキスパートでもない人が、政党のために、議論で票を投じたりしなければならないことです。
Wikiシミュレーションモデルだと、その問題に本当に関心を抱いている人だけが議論に参加できると思います。
できれば、その問題について、あまり興味もなく、下調べもしていない人が、ただ自分の存在感を増すためだけに議論に参加するのではなく、自分の関心のある議論だけに参加してくれるといいと思います。


この方法、もしかしたらすごくいいんじゃないかと密かに思いつつ、実は一つだけ問題だと思っているのは、これが完全に「言葉(verbal)」コミュニケーション依存型の体系だと言うことです。

 Webの掲示板やSNSなんかの議論をみていても、文字主体のコミュニケーションって、実は人を舞い上がらせるところがあるみたいで、
「そんなことどうでもいいじゃん」というようなことが、書き手の表現によって、何かとてつもなくすごい大事件のように表されたりすることもあるわけで、ここいらへんの「実体感」をどうしたらいいかは議論の余地があると思っています。

投稿: nobi | 2008.08.14 01:24

単純に、革新性とリスクを天秤にかけたら、
リスクのほうが大きそう、ということだと思います。↓参考
http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/

同じようにイノベーションとか言って騒がれた
wiiやDSではこれほど批判は集まらなかったと思います。
ゲームは脳に悪い、というようなデマゴギーが浸透している中、
それにカウンターを打つようなプレゼンテーションの仕方も上手かった。

ストリートビューはプレゼンテーションが下手ですね。
グーグルのストカーへの批判メールへの対応のズサンさにも現れています。

投稿: heto | 2008.08.19 16:56

たしかに、それまでになかった革新的製品を出す際、
それをいかにしてアピールしていくか、そのサービスに対してのperception/storyの部分をいかに設計していくかも重要ですよね。

たしかにGoogleはそのあたりに人的リソースをあまり割いていないですよね。

投稿: nobi | 2008.08.19 17:24

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