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2008.10.01

理想からの発想 vs 問題点からの発想

英語版blog、"nobilog returns"に書いたので、こちらにも。

nobilog returns: self-checkout cashier au japon

先日、ちょっと感動した大崎ゲートシティーのRELUCK。
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ここ、なんとお客さんが自己申告清算してEdyで支払える、という画期的なシステムを導入しているのだ。

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Edyをインストールしたおサイフケータイをカードリーダーに置いたら、
買ってきた商品のバーコードをを自分でスキャン。
合計金額を確認してOKボタンを押すと、清算完了。

あとは自分で商品を袋詰めにして(あるいは、もっとエコに持っている自分の鞄に入れて)
レシートを取って立ち去る。

この企画を、この日本で通した人達も、こういうサービスを受け入れている大崎ゲートシティーも
本当に先進的だしスゴいと思う。

これこそ我々が求めるべき「理想の未来」なんじゃないかと思う。

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この理想的なシステムは、「セキュリティーがどうこう」とか「万引きがどうこう」とか、言い始めると、そもそも実現しない。

 弾丸がまずは標的までの半分の距離を目指すという「ゼノンのパラドクス」同様で、これではいつまでも未来に向かって進化していくことができない。

 時々、誰かが「え、それって危険なんじゃないの?」と思えるような冒険を誰かがしてくれないことには、人間はどんどん思考停止が広まってしまうんじゃないかと危惧しているのは私だけだろうか。

 エスカレーターで事故が起きたといったら、「注意」の札を出して、それで安心。
 ドアでけがした人がいたら、ドアに「注意」の札を出して、それで安心。
 そうやって、せっかくのきれいな景観を「危険」だ、「ゴミを捨てるな」だ、なんだ、かんだの立て札で台無しにしてしまうのにもなんだか似している。

 何か問題が起きる度に、ルールをつくって、それを禁ずるっていうのはなんか、仕方がないことのように思えるけれど、根本的ではない、その場しのぎな解決策な気がする。
 最近、残念なことによく見かける「だって、ダメって書いてないじゃん」という恥ずかしい言い訳をする大人は、そういうやり方の副産物なんじゃないか。

 本当はルールを最小限のセットに抑えて、常に人々に良識を問いかけるアプローチの方が正しいんじゃなんじゃないか、と思う。
 もちろん、人によって良識の解釈も違うから、その部分は、なんとか解決しなければならない。
 でも、wordyな解決策(言葉を増やして、「とりあえず書いたからこれで安心」的発想)は、これまたやはり思考停止の壁を増やしているだけだ。

 話しがそれたけれど、このRELUCKのセルフ会計レジの企画を通してしまった人は、もしかしたら、新しい社会のしくみづくりのヒントを握っているのかもしれない。
 子供たちに「こうした方がいいよ」、「ああした方がいいよ」と教えてきた理想と矛盾しない、なんか素敵な理想を実現するヒントを。

 月刊アスキーあらため月刊ビジネスアスキーの創刊号で、未だにネガティブな方面での話題が耐えないGoogle Street Viewの記事を書かせてもらった。
 とりあえず、プライバシー問題だ、なんだは置いておいて、普通に考えたら、誰もがあきらめちゃうようなサービスを、Googleはどうして実現していくのか、という記事だ。
 その中で、Googleの方にいただいたコメントに「(Googleのサービスは)テクノロジーのオプティミズムに立脚している」という言葉が出てくるのだけれど、このRELUCKのサービスなんかも、まさにその「テクノロジーのオプティミズム」の好例なんじゃないかと思う。

10月 1, 2008 just a thought |

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コメント

すばらしい意見です。
僕も、思考停止の方向に向っているのを感じます。多くの人は「完全に安全な」なにかを求めている。
実際は誰も思考停止しているなどと認めないわけで、実際は、「問題が誰かに解決されるのを待っている」のだと思います。問題の指摘はとても上手にできるけど、解決するための行動は自分でなかなかできなくなっているのではないかと感じます。

まずは、問題の指摘(ジャーナリストに担う部分が多い)の後、自分ができる解決策は何かということから始めないといけない。そして、問題をよく見直して、本質的な問題は最初に指摘された部分にはないかもしれないという事をいつも考えていないといけない。この点で、思考停止してはいけないのだと思います。

投稿: 佐藤 徹 | 2008.10.01 03:11

あと、すべての解決策は賞味期限付き、今のコンテクストの中での解決策に過ぎないので、そういう意味でも文字化しちゃうと、そこに引きずられちゃいますよね(底に引きずられちゃうという誤変換のままでもいいかも..)。

ダグラス・エンゲルバートのブートストラップの発想はだから素晴らしい。
http://ascii24.com/news/i/keyp/article/1998/12/08/614412-000.html

投稿: nobi | 2008.10.01 03:57

日本でもセルフレジが始まったんですか! ブレークスルーですね。

当地カリフォルニアではもう何年も前からあります。Home Depot とか。Edyじゃなくてクレジットカード決済ですが。

こちらのレジの人は手際が悪い人が多いし、めったに現金決済はしないし、セルフレジを利用できる時はなるべくセルフを利用しています。

ときどき係員が近くにいて、決済の済んだレシートと袋をチェックされることもあります。もっともこれは 、Fry's のようにセルフレジではない大規模小売店でも万引き防止のため、よくあることです。

投稿: Kojima | 2008.10.01 05:00

ジャスコなどでもセルフレジはかなり普及していて、私も当たり前のように利用していますが、不正を見かけたことはありません。未成年者のアルコール類等購入などの防止策もとられているみたいだし、それなりの対策をとった上でそれを表に出さずに良心を信用する態度を表に出しているのはスマートですね。

私の利用するローカル電車は始発と終着駅以外はすべて無人駅で、ワンマン運転のため車掌の検札もないので無賃乗車をしようと思えばいくらでもできますが、見ている限りみんなきちんと切符を買っているようです。

投稿: Hit | 2008.10.01 07:07

これは、ものごとの捉え方の問題ですね。

ひとつには、nobiさんもいわれているように、問題からではなく、理想からの発想ができるか、ということ。

もうひとつ、実は重要なのが、価値と規範(と存在)の基準を自分の中にもっているか、ということです。別の言い方をすれば「人間ができているか」。

価値を創造するには、自らの中に価値の種を植えなければなりません。そして、その種が萌芽し、育っていく土壌(環境)が不可欠。人間にとっての土壌とは、すなわち倫理や責任、自らを律することや他人との協調・発展関係をつくりだすこと。


そんなことが、このアイディアの裏には隠れている気がします。

投稿: hironux | 2008.10.01 10:02

そのような単純な二元論に落とし込んでしまうこと自体が、
そもそも危険なのだという気がします。

投稿: heto | 2008.10.01 12:43

なるほど、私が知らないだけでセルフレジそのものは結構、広く普及しているんですね。
こういうものが広まってくるのって、文明も進歩しているんだなと感じられていいことですよね!

hetoさん、おっしゃる通り。世の中、そんなに白黒はっきりわけられることばかりではありませんし、「より白い方」とか「より黒い」とか、中間のグレーとか、いろいろあるでしょう。

「理想からの発想 vs 問題点からの発想」で、私は「理想からの発想」応援派ですが、
だからといって問題点からの発想で微調整しないと、現実味のない絵空になってしまうでしょう。

 ただ、その当たりはhetoさんや他にコメントを下さっている方も、大抵の大人なら、わかるだろう、ということを折り込み済みで書いていました。
 あまり細かなことまで気を使い始めてしまうと、そもそも議論をはじめることすらできないですからね。
 でも、hetoさんのおっしゃる通りで、本文中にも「そう、簡単に2つにわけられるものではないが」くらいのフォローはいれておいた方がよかったですね。

投稿: nobi | 2008.10.08 21:30

ども!

投稿: akiko | 2008.10.12 18:06

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