2004.10.18

深澤直人氏インタビュー on MACPOWER

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今日、発売となるMACPOWER11月号に深澤直人氏のインタビュー記事が載っています(私はまだサンタモニカのホテルに向かっている途中のはずですが、このエントリーではココログの時間指定公開機能を初めて使ってみました)。

日本ではINFOBARや±0、MUJIのCDプレーヤーで知られる深澤直人氏ですが、実は20周年記念Macを含むいくつかのアップル製品のデザインにも関わっています(IDEO自体が外部デザイン会社としてDuo Dockをはじめとするいくつかの製品のデザインに関わっており、六本木AXISのIDEOのオフィスにはDuo Dockのシースルーモデルが置いてありましたーー少なくとも10年くらい前に取材したときには)。

'98年、iMacの発表直後にアップル本社のIndustrial Design Groupで、ジョナサン・アイブ氏をインタビューしたのですが、そのとき、アイブが日本の工業デザイナーで一番注目しているとして真っ先に名を上げたのが深澤さんでした。

Without Thoughtなどのワークショップも含めて興味があったので、いつかはインタビューをしたいと思っていましたが、ついにその願いがかないました。

ちなみに六本木ヒルズの都市塾では今年の春から深澤直人さんから直々にデザイン・プロジェクトのマネージメントの仕方を教わることができる「プロダクトデザインマネジメントコース」が開講されています。
 つい最近終わった第32期はラボを使った実際の製作とかも行っていたのですが、受講者の中にはなかなかそうした製作にかける時間がない人もいたとかで33期はデザインマネージメントの講義に特化した内容になります。
ラボを使わない分、講座の価格も手頃になっています。今後もプロダクトデザインで生計を立てていこうとしている人なら受講して損はないと思います(まだ受付は間に合うはずです)。

深澤さんには、±0ショップのオープンとTokyo Designers Weekスタートの合間の非常にお忙しい時間にお時間をいただきました(ありがとうございます)

10月 18, 2004 Mac, アップル影の歴史, 住まい・インテリア | | コメント (1) | トラックバック (1)

2004.09.27

Apple StoreからApple Mallへ?

Cult of Mac経由Apple Insiderより

Tigerの最新ベータ版のプリントメニューに「Buy Supplies」という項目が追加されているという話。
それよりも私がいまだに気になるのが、Mac OS X Public Betaのフォントパネルに用意されていた「Buy Fonts」というボタン。
機能はしないんだけれど、その後もいくつかのMac OS Xのリリースにこのボタンがあったけれど、説明はないまま(今のPantherにはないようです)。

グリーティングカードとかをつくっている時に、フォントパネルにグレーアウトしたフォント名が表示されて、クリックしてみるとサンプル文字が表示される。上品な筆記体で、気に入ったので「BUY」ボタンを押して1-クリック購入、とかできたら結構いいと思いません?

この計画って棚上げされちゃったのかな?

Apple Storeそのものもどんどん取り扱う商品が増えていますよね。
でも、売り始めれば絶対に売れるであろうアップルグッズとかは販売しないんですかね?
アップルが販売事業に乗り出したのは、AppleStoreが初めてではなく、'90年代中頃には「Apple Catalog」というカタログ通販事業をやっていました。
Macで初めてテレビ視聴機能(本当に視聴するだけ)を搭載し、ついでにMacで初めてデスクトップMacでは初の黒筐体だったMac TVも、このApple Catalogで実験的に発売されていました。

関係ないけれど、日本では発売していたのかわかりませんが、フォント発売といえば、Adobe社のType On Callは衝撃的でした。
'90年代中頃に登場した製品ですが、ユーザーにAdobe社の(当時の)フォント全部が入ったCD-ROMを無料で配布するというサービスです。フォントは暗号化されていて、使うには専用のコントロールパネルを通してまず暗号をアンロックする必要があります。
つまり、Adobeの24時間のオンラインストアに電話をかけてクレジットカード番号を教えてフォントアンロックの鍵を購入する、というサービスなのです。これは画期的でした。AdobeはExpoとかの会場でも、このCDを配っていました。

アップルもSoftware DispatchというMac用ソフトが入ったCDを同様の方法で販売していました。

さらにすごかったのがLotus社で、アメリカ全土か東海岸限定か忘れましたが、個人情報が記録されたCD-ROMを販売していました。
使ったことがないので詳細はわかりませんが、マーケティングの人が「女性、30代、収入100,000ドル以上」とか検索すると、何人とか結果が出て、そこでLotusに電話をかけて、該当人数に応じた料金でアンロックキーを買うという製品でした。
これは個人情報保護の観点から裁判にもなったかも。

インターネットの商用利用が認められる前夜で、「何をもって商用利用とするか」、「個人間の売買の電子メールはいいのか?」みたいなことがさかんに議論されている時代でした(そしてNIFTY-Serverの「売ります・買います」が個人的に熱かった時代だったかも)

9月 27, 2004 Mac, アップル影の歴史 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.07.06

iMac DVそれ待った事件

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約束通り過去15年の取材裏話をいくつか書き始めています。
第1回目のパイオニア事件については下書きしていたため、後から投稿した記事よりも下に表示されてしまいましたが、皆さん気がついたかな?(もっとも気がつかれても困る恥ずかしい話なのだけれど...)。

 パイオニア事件は他の取材陣も巻き込んだ大掛かりなものでしたが、今回は何食わぬ顔をして取材していたけれど、その影で人知れず苦労をしていたという話。

 今、この記事は機内で書いているため、資料がありませんが、計算が正しければ事件が起きたのは初代Mac誕生から15年目の'99年秋。
 アップル社が初代Macが発表されたのと同じDe Anza Collegeのフリント行動で製品を発表すると言う案内が届き、それを取材すべくシリコンバレーへと旅立った。
 サンフランシスコ市内の取材なら歩きやタクシー、バスで(自然いっぱいの観光地以外は)どこへでもいけるのでレンタカーは不要だが、サンフランシスコ空港以南、シリコンバレーの取材となるとレンタカーは必須だ。

 この時も朝、サンノゼ空港に降り立つと、真っ先にレンタカーをし、昼間には飲茶を食べ、そこから時差ぼけで夜眠れなくならないように、同僚を引き連れてパロアルト近郊をドライブしていた。この時、猛烈に眠かったが、30分以上にわたって延々と蛇行が続く山道に迷い込んだのはかなりつらかったが、その疲れのおかげで夜かなり早い時間にベッドになだれ込み、そのまま深い眠りについた。

 翌朝は目覚めもよく、頭もすっきり。発表会の4時間前には目が覚め、眠い目をこする同僚に、何か朝ご飯でも買ってこようかと提案した(できるだけ早く会場に行きたかったので、何かテイクアウトできるものを持っていこうと思ったのだ)。
 ちょうど、車で2ブロックほど行ったところにマクドナルドがあった。

 同僚がまだ眠そうなので車に乗り、1人マクドナルドに向かい、朝食セットをちょっと多めに買って車に戻ると車内にあってはならないものがぶらさがっていることに気がついたーーそう車の鍵だ。

 助手席、後ろのドア、トランク、八方探したがどこも鍵はあいていない。
 マクドナルドの前の公衆電話、Yellow Pageを使ってLock Smith(日本で言うところの鍵の救急便[でしたっけ?])に電話をかけたが、こちらに到着するまでには1時間かかるといい、それでは発表会に間に合わないかもしれない。

 タクシーを呼んで会場に向かうか?いや、でも自分の取材道具は車のトランクに積み込んでしまった。


さまざまな考えが頭に浮かぶが、結局、解決策もないまま時間ばかりがどんどん過ぎていく。

ようやく1つの結論にたどり着いた。

「車の窓を割るしかない」
 

今回は、この発表会ただ1日だけの渡航、このバカな失敗のせいですべてをフイにすることはとてもできない。

マクドナルドのカウンターに並び、自分の順番が回ってくるや、「何か窓を割れるようなものはないか」と聞いた。

店員のびっくりした顔は想像するまでもない。

そこから5分近く、事情を話して、予想通りだが、Lock Smithを勧められて、その時間がないと説明してと5分ほど経った頃、ようやく、先方が「どうしてもやるのか?」とこちらの決心を受け入れ、すぐ裏側に自動車整備工場があるのでそこに相談に行った方がいいと言われた。

 次の瞬間には100mほど離れた自動車整備工場に駆け込んでいた。

 「時間がなくって理由を説明する余裕はないけれど、車からlocked outされてしまった。どうしても時間がないので、窓をわらなければならない」
 ここでもLock Smithを勧められるなど、予想通りのやりとりがあったが、韓国人風のおじさんが「それなら俺はもう知らない。そこにでかいハンマーがあるからそれを貸してやる」と鉄ハンマーを指差した。

 足は車の方に向かいながらも後ろを向きながら、丁寧にお礼を繰り返し、建物を出たらそのまま一目散に(両手で巨大ハンマーを抱えて)車に向かって走り出していたーー周囲に人はいなかったと思うが、いたらどう見られていたのだろう。

車の前に到着。

心の中で本当に割ってもいいのだろうか、という最後の葛藤を終えた後、深呼吸をして、思いっきりハンマーを振りかざした。

いや、予想以上にハンマーが重かったので、イマイチ振りかざしきれていなかったので、少し後ずさりをしてもう1度ハンマーを振りかざし、勢い良く振り下ろそうとした。

「WAIT」

その大きな声が聞こえてきたのは、まさにその瞬間だった。力が抜け振りかざしたハンマーが窓の上に落ちたが勢いがなかったため、割れずに終わった。

先ほどの自動車工場の韓国人風のおじさんだ。

「どうせ割るなら、ここの窓(=運転席の窓)は大きくて値段が高いから、こっちの小さい窓を割れ!」というアドバイス。

さすがは自動車整備士!


この時は本当に感動&感謝感激でした

「Thank you!」といった後、その持ち方じゃダメだと言わんばかりに彼が叩き割ってくれました(ちょっと気持ち良さそうで、うらやましい)

後部座席はガラスの破片が飛び散りとても座れる状態じゃないけれど、それよりも怖いのはこの車を果たして取材中どこかにパーキングし置いて大丈夫なものだろうか?

自動車整備の人にお礼を言うと、彼は「いいから急げ!」と言ってくれて(いい人だ)ハンマーを持って彼の職場へと消えていった。

私はとりあえず、運転席に座り(ここにガラスが飛び散っていないでよかった)、エンジンをかけ、同僚が待つホテルへ

「遅かったね?そろそろ取材行く?」とノンキな同僚を車に乗せて、自分の取材道具からガムテープを取り出して彼に手渡す(ガムテープはビデオの電源を通路を横切って延長する時に、人が足をひっかけないようにテーピングするために昔は持ち歩いていました。今は面倒なのでバッテリーで撮影)。

 後部座席にジャケットをしいてその上に座って、マクドナルドを食べながらの片手運転で発表会会場に向かいました。

この日はいい天気で、小さな講堂はThink differentのポスターで埋め尽くされ、外のテントではプレス受付をしながら、軽い朝食も配られていました。

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 登録の後、カリフォルニア日和の太陽の下、スイートとコーヒーを持ちながら「やあ、どうも」と声をかけてくる日本人プレスの方々、「Hey Nobi. How's going?」と声をかけてくる欧米プレスの方々、そして「Hi, good to see you hear. I am glad you could make it」と声をかけてくれるアップル広報の方々...
 一瞬、ここまでmake it(なんとかたどりつく)までにあった苦労を言おうと思って、口を開きかけるのですが、このあまりに長大なストーリーが頭を一瞬ぐるっとかけめぐり「good to see you, too」と流してしまいました。

 発表会、ジョブズはこの日はちょっときばって初代Macタキシードで登壇。

 FireWireポートを搭載したiMac DVとiMac DVのSpecial Editionそして現在はiLifeの一部として知られるiMovieが発表されました。

講演では、iMovieを使ってホームムービーをつくるデモを行った後、ジョブズはしばし沈黙し
「アップルにはアートとテクノロジーの接点に立つ会社になって欲しい」
となかなか言葉に残る名セリフを残していました。

講演が終わり、壇上のiMac DVを撮影していると、他の日本のプレスも続々、壇に登ってきて、日本人プレスによるiMac DV撮影会状態になってしまったのですが...

 実はこの模様を雑誌TIMEの記者が写真にとっていたようで、私や同僚、PC WATCHでこの記事を書いた友人らはジョナサン・アイブよりも大きい後ろ姿の写真がTIMEの記事に載ったというおまけつきです...

 真っ暗な講演会場を出て、講堂のまわりの廊下にいくと、そこにはアップル社の当時のPMの方々が楽しそうに話をして、大変気分よく取材を終えられました。

数ヶ月前大阪で行われたIEEE1394TA(FireWireの規格化を進めている団体)会長の「アップルはFireWireを推進する企業としてFireWireをiMacに搭載するべき」と言う言葉を思い返したり、速報記事の大まかな構成を考えたりしながらも、De Anza Collegeのきれいな緑やリスや小鳥といった小動物のいる景色を楽しみながら、心地よく撤収をしたのですが、駐車場には割れた窓ガラスをガムテープで補修したレンタカーという重い現実が待っていました。

あれから、どこかで昼飯を食べたのでしょうか?
とにかく、ホテルに帰り、その夜は必死で速報記事を仕上げました。
仕上がったのは翌日の飛行機の時間の2〜3時間前で、レンタカー会社にゆっくり事情を話したいけれど、その余裕もなさそう...
レンタカー返却にいって事情を話すと、「OK。it's insured(大丈夫、保険でカバーするから)」と言われてホッ

飛行機ではあまり寝れない質なのですが、この時はぐっすりと寝れたような気がします。


さて、時間は流れて2004年7月、今回の失敗によるダメージは1泊2日だったので、この暴露話シリーズはパイオニアの話とiMac DVの話の2話で一度終わりにして、何かまた次に大きな失敗をした時につづきを書こうと思います。楽しんでくれた人は、私が次にまた失敗をやらかすことを期待していてください。

7月 6, 2004 アップル影の歴史 | | コメント (11) | トラックバック (0)

2004.07.04

パイオニア劇的演出のヒミツ

既にアップルとその周辺のニュースを取材し始めて15年近くになる。
私より古くから取材している方はいっぱいいるが、さまざまな発表会現場やその時代の重役の方々のインタビューなどをこれだけ継続的に取材してきた人間は日本はもちろん、海外でも少ないということはちょっとだけ自負しています。
ところで、これだけ長いこと取材をしていると、それだけ裏話も多い。

前のエントリーで、そうした裏話をちょっとづつ書くと約束したのでそれを実行したいと思います(でも、下書きしたままになっていたので、後のエントリーよりも下に表示されてしまった...みんな気がつくかな?)

前ふりが長い割には忙しいこともあり短いお話なのですが...

アップル社が互換機戦略を始めたすぐ翌年(だったかな?帰国後、細かいチェックをして修正します)、
Power ComputingやRadius社につづいて、なんと日本からもパイオニアがMac互換機の第1号を発表しました。

互換機戦略はもともとアップルでは出せない特徴を持ったMacをつくって、Mac市場を拡大するのが目論み
Radiusが映像処理に強いMacを出したように、パイオニアは音の良さで勝負を仕掛けてきました。

そのパイオニアの互換機1号の発表会、たしか、場所は経団連会館だったでしょうか?

発表会場には新聞社各社からテレビ局もやってきて、狭い部屋は外にまで人が溢れている状態。

私は1990年頃からビデオ取材を続けているので、この日も発表会場の一番後ろに三脚を立てていました(あのテープはどこへ)。

会場のざわつきが静まり、司会から「えー、まもなく発表会を始めますので今しばらくお待ちください」のアナウンスが流れて2〜3分ほど経った頃、一瞬、会場が真っ暗になります

プレスの方からも「おー!」という歓声が。

当時のアップル社はCEOこそスティーブ・ジョブズではありませんが、地味なCEOを支える副社長らが凝ったジョブズ並に凝った演出での基調講演をしていました。アップルの基調講演に、まるで大掛かりなショーを見るかのような楽しさがあったのは今も昔も変わりないのです(むしろ、この頃の方が演出の小細工に凝っていたかも知れません)。

でも、パイオニアも、やはり、Macの互換機と言うだけあって、アップル社の派手な演出の影響を受けたのか、これはこの真っ暗な状態で新製品にいきなりスポットライトが当たって、いきなりBGMと共に製品が発表されるのかと誰もが思い、周りのテレビ局のカメラは「おいおい、どっから出てくるの?聞いていないよ」と騒ぎ出しています。

 でも、しばらく会場は真っ暗なままで、取材に来たプレスもざわざわし始めます。

 しばらくすると会場の奥から「スイッチどこー」という声が聞こえてきます。

そう、ただ単に誰かが間違って会場の電気のスイッチを切ってしまっただけのようです。
そう思って緊張が緩むと、背中の当たりに突起物の感触

手を後ろに回して突起を上に持ち上げると(もしかしたらボタンだったかも)、その瞬間、会場が明るくなり、無事、発表会が始まりました...

というなんともお恥ずかしいお話です

それにしてもたった1個のスイッチで小さかったとはいえ発表会場の全部の電気が消えちゃうなんて..

7月 4, 2004 アップル影の歴史 | | コメント (1) | トラックバック (0)